「よくなったと思ったのに…」回復と悪化を繰り返す心と体

スーパーのレジで働く日本人女性の姿。笑顔で接客をしている。 うつ病闘病記
家計を支えるためにレジで働く妻。その姿に感謝しつつ、自分の無力感にも苛まれる日々。

「また動けなくなった…」度重なる事故で心も体も限界に

妻に「生きているだけでいい」と言われ、救われた気がしました。しかし、心と体は言うことを聞いてくれません。
体が動かなくなったことで、将来への不安が生まれ、気持ちがどんどん落ち込んでいきました。

そんな中、警察から「事故の様子を詳しく聞きたいので、警察署に来てほしい」と連絡が入りました。
体も心も最悪の状態の中、必死に警察署へ向かいました。

警察署に到着し、奥の部屋に通されると、事情聴取を担当する警察官が現れました。
私は事故当時の様子をできる限り詳しく話そうとしましたが、話が進むにつれ、警察官の表情が険しくなっていきました。
やがて、「そんなことはわかっているんだよ」と、突然語気を強めて言い放たれました。

体調の悪い中、必死の思いで警察署に来たのに、なぜこんな態度を取られなければならないのか——。
憤りと悲しみが入り混じり、言葉が出てきませんでした。

それでも、どうしても伝えておきたいことがありました。

「事故現場に来た警察官が『五分五分だな』と言っていたこと」

脳震盪を起こしていたとはいえ、その言葉だけははっきりと記憶に残っていました。
そのことを伝えると、警察官は一瞬黙り込みました。

それ以上話をしても無駄だと悟り、必要最低限の受け答えだけをして帰ることにしました。
事故の相手は任意保険にも入っておらず、すでに連絡も取れなくなっていました。
それなのに、警察は相手の言い分だけを聞いて、私の言い分はろくに取り合ってくれない——。

この一件で、私は警察に対して強い不信感を抱くようになりました。
その不信感は、今でも消えずに残っています。


「外の世界が遠ざかる」— 事故の後遺症と孤独感

事故以来、私はますます外の世界と距離を置くようになりました。
家と精神科のクリニック、整形外科のクリニック——それが私の世界でした。

両親は事故のことを知っていたものの、ある程度回復したように見えたのか、ある日こう言いました。

「気分転換に旅行でも行ってきたらどう?」

しかし、心がどん底まで落ち込んでいた私には、とてもそんなことをする気にはなれませんでした。
表面上は「まだちょっと難しいかな…」とやんわり断りましたが、心の中では「そんな余裕なんてあるわけがない」と強く思っていました。

親とはいえ、うつ病のことを本当の意味で理解してもらうのは難しく、また、正直な気持ちを打ち明けるのも、「大人として恥ずかしいこと」と感じてしまいました。

そんな私を見て、妻はそっと声をかけました。

「のんびりすればいいよ。無理に良くなろうとしなくても、それに合わせた生活をすればいいんだし。」

子どもはまだ幼く、私が家にいることが当たり前だと思っていました。
「お父さん、ずっとおうちにいるね」と無邪気に話す子どもの姿を見ると、少しだけ心が救われるような気がしました。

唯一の味方は妻と子どもだけ。
それで十分なはずなのに、どこか満たされない気持ちが心の奥にありました。


第3章「回復と後退を繰り返す日々」焦りと不安の狭間で

休養を始めて3年目に入りました。

投薬治療の効果で、少しずつ心と体が楽になり、筋トレを始めたことで自信を取り戻しかけたものの、ぎっくり腰で動けなくなり、さらに交通事故で再び心身の状態が悪化——。

まさに 「一歩進んでは、二歩下がる」 の繰り返しでした。

そんな中、職場から何度か連絡がありました。

「そろそろ顔を出せないか?」

職場復帰をしたい気持ちはありましたが、体調は一向に戻らず、「また職場に行って、以前のように働けるのか?」という不安が拭えませんでした。

そのたびに最新の診断書をもらい、職場へ提出しました。
首にコルセットを巻いたまま出向いたこともあり、上司や同僚は納得してくれました。
しかし、かつて私を追い詰めた先輩はまだ職場に残っており、私を見るなり露骨に不機嫌な顔をしていました。

家に帰ると、妻が私の顔をじっと見て、こう言いました。

「ひどい顔してるよ。職場復帰とか考えずに、焦らず休めばいいよ。」

その言葉を聞いて、ホッとする気持ちと、「このままでいいのか?」という焦燥感が入り混じりました。

「早く元通りにならなければ——」
「でも、本当に戻れるのか?」

そんな不安が日に日に募っていきました。

「焦って無理をして、また悪化したらどうする?」

妻の言葉を思い出し、自分に言い聞かせる日々が続きました。


第4章「支えてくれた妻が外へ…」感謝と罪悪感に揺れる心

そんな日々の中、交通事故後の落ち込みから少しずつ回復していました。
子どもも成長し、私一人でも世話ができるようになってきた頃、妻がこう言いました。

「最近だいぶ落ち着いてきたみたいだし、ちょっと一人の時間を作ってみようか?」

「一人の時間?」と聞き返すと、妻は笑顔で答えました。

「少しパートに出ようかな。家にいるのもいいけど、ずっと付きっきりじゃ私もなまっちゃうから。」

今までずっと私を支えてくれていた妻のことを考えると、感謝しかありませんでした。

「いつもありがとう。無理しない程度にね。」

その後、妻はスーパーのレジ係として働き始めました。

それでも、妻は私の診察の日にはシフトを入れず、クリニックには必ず付き添ってくれました。

給料が入ると、仕事終わりに私や子供の好きなものを買ってきてくれました。

本当に、私にはもったいないほど優しい妻です。

私はそんな妻に心から感謝する一方で、 「自分が働けないのに、妻に働かせてしまっている」 という罪悪感を拭えませんでした。

「いつか恩返しができるようになりたい。」

そう思いながらも、働けない自分が歯がゆく、また焦燥感と罪悪感が胸の奥に重くのしかかっていました。

感謝と申し訳なさが交錯する日々——。
心はなかなか安定することはありませんでした。

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