我が子の誕生の喜びと、見えない疲れの始まり
小さな産声に涙があふれた
県庁で勤務を始めてから、毎日緊張した生活を送っていました。
そんな中、心待ちにしていた子供が誕生しました。
明け方に陣痛が始まり、昼1時過ぎにようやく出産。
しかし、妻は途中で疲れてしまい、いきむことができなくなり、吸引分娩での出産となりました。
私は立ち会うことはせず、しばらくして分娩室から出てきた我が子の顔を初めて見ました。
吸引分娩になると事前に聞いていたものの、頭に吸引の跡があり、少しいびつな形になっていました。
その姿を見た瞬間、「こんなに頑張って生まれてきてくれたね。ありがとう。」という気持ちで胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
「この子を守っていかなくては」
私が泣いているのを見て、両親も、妻の両親も、看護師さんも、助産師さんも、みんな涙を流していました。
「子供のために」頑張る日々
こうして生まれてきてくれた我が子。
どんなに仕事で疲れても、必ず面会時間に間に合うように病院に行き、妻と子供の顔を見るようにしました。
時には、その後に職場に戻って仕事をすることもありましたが、二人の顔を見るだけで「充実している」と感じていました。
退院後も、妻の実家へ通い、毎日子供の顔を見る生活が続きました。
「二人の顔を見ることが何よりの喜びであり、楽しみだった」のです。
しかし、徐々に「喜び」よりも「疲れ」が勝るようになっていきました。
「家族のため」に頑張りすぎる日々
子供に会う時間を作るためには、今まで以上に仕事を頑張る必要がありました。
妻と子供が自宅に戻ってきた後も、以前と同様に家事をこなし、なかなかゆっくりと過ごすことができませんでした。
育児は初めての経験で、夜泣きする子供に対応するうちに、睡眠時間も短くなっていきました。
「仕事と育児の両立」
「家族を支える責任」
それは、私にとって想像以上のプレッシャーでした。
新しい業務の負担がさらに追い打ちをかける
そんな中、県庁に勤め始めて2年が経った頃、業務内容が大きく変わりました。
今までは給与システムの運用・保守を担当していましたが、それに加えて共済システムの運用・保守も行うことになったのです。
給与計算には県条例の知識が必要でしたが、共済の業務では地方職員共済、警察共済、教職員共済など、それぞれ異なる制度の知識も求められました。
また、給与計算の業務は課内の担当者だけで完結することが多かったのですが、
共済業務では、新たな人間関係を構築する必要がありました。
さらに、引継ぎを受ける先輩も給与計算のときとは別の人で、再び一から学び直さなければなりませんでした。
家庭と仕事、二つのプレッシャーに疲弊する
自宅では育児のプレッシャー、職場では新しい業務へのプレッシャー。
その二つが重なり、私は次第に心身ともに疲弊していきました。
「仕事を頑張らなければ、家族を養えない」
「でも、仕事のプレッシャーが日に日に増していく」
「家族を支えたい」「仕事もこなさなければならない」
その気持ちだけで動いていた私は、自分の心と体が限界に近づいていることに気づいていませんでした。
先輩から受けるプレッシャー
新しい業務の引継ぎを担当するのは、給与計算の時と同じく、必要最低限のことしか教えてくれない先輩でした。
もちろん、以前から同じ課にいたので、業務を見てなんとなく理解している部分はありました。
そこで、先輩のやり方を真似するようにして仕事を進めようとしたのですが、なぜか「それではダメだ」とダメ出しをされるのです。
「先輩がやっていたことを真似しただけなのに、なぜダメなのか?」
一応、理由を説明してくれましたが、私は心の中で納得できませんでした。
その気持ちが態度に出ていたのか、次第に先輩との関係がぎくしゃくしていきました。
また、新しい業務ではCSVデータをCOBOLで扱える形式に変換する作業も発生しました。
当時、こうした処理にはPerlを使うのが一般的だったため、私はPerlのスクリプトを書いてデータを変換しました。
しかし、先輩は「その方法ではダメだ」とまたもダメ出し。
ではどうすればいいのか? と聞いても、明確な答えは返ってきません。
そもそも先輩はPerlのことをよく知らなかったため、私のやり方を理解できなかったのだと思います。
「正解がわからないのにダメ出しされる」
そんなやり取りを繰り返すうちに、私は次第に自信を失い、気持ちが沈んでいくようになりました。
だんだんと明らかになっていく体の不調
仕事のプレッシャーが増す中で、昨年から感じていた体の不調が悪化していきました。
特に先輩と向き合うとき、手のひらがびっしょりと濡れるほど汗をかくようになりました。
さらに、家に帰っても疲れが取れず、夜になってもなかなか寝つけなくなったのです。
ようやく明け方に眠れても、すぐに目が覚めてしまい、睡眠不足が続くようになりました。
朝、出勤しようとしても、職場に行く気力が湧かない。
食欲もなくなり、朝食をとることができなくなっていきました。
「仕事に行かなければならない。でも、体が動かない。」
職場に着いても、緊張感はあるのに仕事に集中できない。
昼休みになっても気が落ち着かず、昼食を少しだけ食べた後は机に突っ伏して時間が過ぎるのを待つだけでした。
午後になるとさらに集中力が切れがちになり、仕事がはかどらない。
そんな自分が歯がゆくて、でもどうしようもできない。
結果として、仕事の期限をギリギリでこなすのが精一杯になっていました。
「おかしい。何かが変だ。でも、何が原因なのか分からない。」
この頃の私は、すでにうつ病の症状が出ていたのかもしれません。
しかし、当時はまだそれに気づいていませんでした。
コメント