予定日を越えて
いよいよ出産予定日を迎えました。
私はいつ陣痛が来ても対応できるように、数日前から眠剤を飲まずに過ごしていました。
しかし、予定日になっても一向に兆候は現れず、「まだか、まだか」と気を揉む日々が続きました。
予定日から1週間が経った休日、さすがにこのままではまずいと思い、翌週の月曜日には病院へ診察に行こうと妻と話し合いました。
その日はとりあえず眠ることにしました。
すると深夜2時過ぎ、妻が私を起こしながらこう言いました。
「陣痛が来たかもしれない」
ついにその時が来たのです。
私は気を引き締め、事前に用意していた入院の荷物をすぐ運び出せるよう準備し、病院にも連絡を入れました。
「陣痛の間隔が10分になったら、もう一度連絡してください」とのこと。
私は陣痛の間隔に注意しながら、ただただその時を待ちました。
病院へ、そして分娩室へ
2時間ほど経つと陣痛の間隔は10分を切るようになりました。
再度病院に連絡をすると「すぐに来てください」との返答。
長子を起こし、家族3人で病院へと向かいました。
病院のインターフォンで連絡すると、看護師さんが車いすを用意して迎えに来てくれました。
妻はそのまま分娩室へ。
私と長子は分娩室前の控室で待機することになりました。
長子は夜中に起きたこともあって眠そうにしており、すぐにウトウトと眠ってしまいました。
しばらくすると、助産師さんがやってきて私に言いました。
「お母さんが呼んでます。分娩に立ち会ってください」
私は驚きながらも、ビデオカメラを持って分娩室に入りました。
命の誕生、そして涙
分娩室は明るく、そこにいる妻の顔は汗に濡れ、苦しそうでした。
私はカメラを設置してから、彼女のもとに駆け寄りました。
「何かできることある?」と聞くと、「手をつないでいて」と言われました。
力強く握られたその手の感触は、まさに命を迎えるその瞬間を物語っていました。
「痛い」と叫ぶ妻に、「息をゆっくり吐いて」と声をかけ続け、少しでも力になろうと必死でした。
やがて妻が私の手を引き、首にしがみついてきました。
その力は強く、私は一時息ができなくなるほどでした。
数十秒間の苦しみののち──赤ちゃんの泣き声が響きました。
私はただ、「生まれた……」という思いで胸がいっぱいになり、そして安堵のあまり息を深く吐きました。
新しい家族の始まり
赤ちゃんは元気に泣いていました。
妻はその姿をお腹の上で見ながら、幸せそうな笑顔を浮かべていました。
私もその姿を見て、心から「ありがとう」と思いました。
命が生まれる瞬間というのは、やはり言葉にできないほど尊く、胸に強く刻まれるものでした。
その後、赤ちゃんはラジアントウォーマーの下で身体を温め、妻は医師の処置を受けました。
処置が終わると控室に移動し、しばらくして妻は眠りにつきました。
外は夜が明け、朝の光が病室を照らしていました。
ウトウトと眠りながら、私はまた一つ家族が増えたことをかみしめていました。
現実と感謝
朝、妻が目を覚まし、いくつかのことを話しました。
特に印象的だったのは、「やっぱり夜中の休日に出産すると一番お金がかかるよね」という言葉でした。
たしかに、長子のときは平日の昼間で費用も抑えられましたが、今回は深夜・休日だったため、10万円以上の差が出たのを覚えています。
出産一時金は当時35万円だったため、相当な持ち出しとなりましたが、そんなことはどうでもよくなるほど、元気に生まれてきてくれたことが何よりの幸せでした。
第二子の誕生は、私にとって「新しい家族が増える」という喜びに加え、
「自分はもう一度、父親として向き合っていけるのだろうか?」という小さな不安との両立でした。
ですが、あの夜明けとともに聞いた赤ちゃんの泣き声、
それはまさに「人生はまた始まる」ことを教えてくれたような気がします。
その時からまた新しい生活が始まりました。
不安もありましたが、家族と一緒に、少しずつ、前へ進んでいきたいと決意しました。
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