手術後の激痛とリハビリ——笑顔の裏にある苦しみ

手術後のリハビリとして、点滴スタンドを支えながら病院の廊下をゆっくり歩く30代の日本人男性。疲れた表情で、痛みに耐えながら回復に向けて努力している様子が伝わる。 うつ病闘病記
術後のリハビリ——痛みに耐えながら、一歩ずつ前へ

想像を超えた痛み——手術翌日の試練

お腹の傷は痛み続けながらも、何とか朝を迎えました。
手術後の最初の夜はほとんど眠れず、体力も気力もすっかり消耗していました。
そんな中、妻が一度帰宅するために、私の母が病室にやってきました。

すると、日勤の看護師さんがやってきて、開口一番にこう言いました。

「じゃあ、ベッドから起き上がって座ってみようか?」

突然の提案に驚く間もなく、看護師さんは続けました。

「そうしないと、かえって治りが遅くなっちゃうからね。痛いけど頑張ってね。手を貸すから。」

そう言って私の体を支えながら起こそうとしました。

「私が代わりに痛いって言ってあげるから、頑張ってね!」

冗談を交えてリラックスさせようとしているのかもしれませんが、私にとっては笑えない状況でした。
傷の痛みで体を少しでも動かすだけで激痛が走り、まるで体が千切れるような感覚に襲われました。

「生きてきた中で、これ以上の痛みを経験したことがない」

そう思うほどの激痛でした。

それでも何とか起き上がり、しばらく座っていると、看護師さんは微笑みながら言いました。

「よく頑張ったね。今日あと何回か座るようにしようね。」

ようやくベッドに戻してもらえましたが、体力を奪われ、ぐったりと横になりました。

看護師さんが去った後、妻が「なに、あの看護師さん。ふざけたこと言って。」と怒っていました。
しかし、最近は手術後すぐに動くことが回復を早めると言われていることを知っていたため、私は「まぁ仕方ないね。体の大きな看護師さんだったから力も強かったし、かえって良かったのかも。」と苦笑いしながら答えました。

しかし、本音を言えば、あの瞬間の痛みはこれまでの人生で一番のものだったと思います。


日常に戻る準備——家族のサポートと入院生活

妻が帰宅し、母と交代しました。
私は前夜ほとんど眠れなかったこともあり、日中はほとんど寝て過ごしていました。

夕方になり、再び妻と母が交代。
しかし、もう二晩目だったので、付き添いで泊まってもらう必要はないと考え、面会時間が終わると妻に帰ってもらいました。

「子どもが両親ともにいないのは寂しいだろう」

そう思ったからです。
ところが、後から妻に聞くと、子ども自身は「おじいちゃんとおばあちゃんの家に泊まるの、初めてだったから面白かった!」と言っていたとのこと。
子どもの順応力の高さには驚かされました。

翌日からは、妻がパートに行かない日は子どもを保育園に預けた後で病院に顔を出してくれました。
しかし、毎日来てもらうのは申し訳なかったため、私は「毎日だと疲れちゃうから、たまに顔を出してくれればいいよ。着替えが必要になったときだけ来てくれれば。」と伝えました。

こうして、少しずつ入院生活に慣れながら、日常に戻る準備を始めました。


歩行訓練と病棟の迷子——リハビリの始まり

手術から2日後、歩行訓練が始まりました。
まだお腹の傷が痛む中、看護師さんに付き添われ、病棟の廊下を往復する練習から始まりました。

初めのうちは歩くたびに傷が響き、痛みが走るたびに歯を食いしばっていました。
しかし、「歩かなければ回復が遅れる」と思い、痛みに耐えながら少しずつ距離を伸ばしていきました。

数日後には、看護師さんの付き添いなしで歩行訓練を行うようになりました。
ただ、ここで一つ問題が発生しました。

「完全に方向音痴になっていた」

手術前にいた部屋、手術直後の部屋、そしてその後移動した部屋——短期間で病室が何度も変わったせいで、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったのです。

廊下の窓から外の景色を見て、病院の配置を何とか把握しようとしましたが、いざ歩き出すと方向が分からなくなり、自分の病室を捜し歩くはめになりました。

そこで、妻が面会に来るときは必ず歩行訓練に付き添ってもらうことにしました。
ただ、歩行訓練といっても病棟の廊下を往復するだけなのですが……。

そんな日々を過ごすうちに、食事が食べられるようになりました。
点滴だけの生活が続いていたため、病院食でさえも新鮮に感じました。

ある日、妻が昼食の時間に病院へ来ました。
その日の昼食にはデザートとしてメロンが出されました。

しかし、そのメロンは熟していなかったのか、非常に硬く、私は歯が立たず残してしまいました。

食事の後、妻が下膳をしに行き、戻ってきて笑いながら言いました。

「今日のメロン、硬かったよね。みんな残してたみたい。でも、その中にね、歯形がくっきりついたのがあったの!」

どうやら誰かが噛みついてみたものの、硬すぎて諦めたらしい。
その光景を思い浮かべ、私もつい笑ってしまいました。

しかし、その瞬間——

「お腹の傷に響いて痛い!!!」

笑うたびにズキズキと痛みが走り、必死にお腹を押さえました。

「笑いすぎると痛い!」と言いながらも、隣で笑い続ける妻につられて、また笑ってしまいました。
痛いやら、面白いやらで、私は泣き笑い状態になってしまいました。


眠れぬ夜——不安と鬱の再発

日中はそんな穏やかな時間を過ごしていましたが、夜になると不眠が再発していました。

毎晩看護師さんが見回りに来るたび、私は起きているため「ちゃんと寝ないと回復しませんよ」と注意されました。

しかし、私は日中寝ているから夜眠れないのではありません。

手術前、「胆のうの摘出は簡単な腹腔鏡手術で済む」と言われていました。
それが、実際には胸骨からへその直上までバッサリと開腹されていたのです。

その事実を改めて考えると、心の不安がどんどん膨れ上がり、うつの症状が悪化していくのを感じました。
痛みと不安が交互に襲ってきて、なかなか眠ることができませんでした。

「また鬱がぶり返してしまうのではないか?」

そんな恐怖を抱えながら、眠れぬ夜が続いていきました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました