想定外の手術の代償——癒着が招いた開腹手術
手術後の数日が経った頃、担当医から手術の説明がありました。
「胆のうの痛みは、かなり前からあったのでは?」
「それを放っておいたことで、炎症を繰り返し、胆のう周囲と癒着してしまっていた」
「そのため、腹腔鏡での手術ができず、開腹手術に切り替えるしかなかった」
私は、ただうなずくしかありませんでした。
手術の内容がどうであれ、すでに終わったこと。今さら何を言っても変えられません。
しかし、一つ気になったことがありました。
それは 「術後の痛み止めが入れられなかったこと」 について。
「本来なら、硬膜外麻酔(背中から入れる痛み止め)を使う予定だったが、手術の急な変更により、それができなかった」
そのため、術後の痛みが強く、通常よりも回復が遅れる可能性があると言われました。
私は、開腹手術になったこと自体よりも 「この痛みと、いつまで付き合わなければならないのか?」 ということのほうが不安でした。
また、私は うつ病の治療中である ことを伝えました。
当然、事前の診察で伝わっていたはずですが、あらためて術後の調子が悪いこと、抗うつ薬を断薬していたことで精神的にかなり不安定になっていることを説明しました。
「もう少し入院期間を延ばせないでしょうか?」
担当医は少し考えた後、
「できるだけ長めに調整できるようにします」と約束してくれました。
私はこの言葉に、少しだけ安心しました。
術後の痛みと心の落ち込み——想像以上に長引く回復
日が経つにつれて、少しずつ痛みは落ち着いてきました。
腹部に入っていた ドレーン(体液を排出するチューブ) も、何日目かに抜いてもらい、動くのも少しずつ楽になってきました。
痛みの緩和とともに、精神的にも少しずつ落ち着きを取り戻しつつありました。
しかし、それでも「まだ退院するのは早い」と感じていました。
そんな中、職場の上司が 「お見舞い」 にやってきました。
部屋に入ってきたのは 課長補佐と直属の上司 。
課長補佐は、新しい課長になってから手のひらを返したように態度を変えた人物です。
正直、顔も見たくなかった。
「具合はどう?」
表面的には気遣う言葉をかけてきましたが、その次の言葉が 本題 でした。
「で、いつ職場に戻れる?」
思わず 耳を疑いました。
つい数日前まで激痛で呼吸もままならなかったこの状況で、復帰の話をされるとは思っていませんでした。
「当初の予定だと、手術から1週間程度で退院できると聞いていたが?」
「なのに、なぜまだ病院にいる?」
私の手術が予定通りにいかなかったことなど どうでもいい という口ぶりでした。
「いや、もともと腹腔鏡の予定だったんです。でも、癒着がひどくて開腹手術になったんです。」
そう言って、私はシャツをめくり、 長い縫合跡のある傷口を見せました。
「これを見ても、すぐに職場に戻れと言うんですか?」
上司たちはしばらく無言になり、
「まぁ…そういうことなら…」
と、何とも言えない表情で しぶしぶ帰っていきました。
「早く退院してください」——上司の圧力が病院にまで及ぶ
その日の夕方、担当医が病室にやってきました。
開口一番、こう言われました。
「うつについては、病院ではどうにもできないので…早めに退院してください。」
あまりに突然の言葉でした。
「いや、ちょっと待ってください。まだ傷がかなり痛いんです。」
今まで入院延長の相談にも乗ってくれていた担当医の あまりに冷たい態度 に、違和感を覚えました。
タイミング的に考えても、 職場の上司が病院に圧力をかけた としか思えませんでした。
(実際、上司が病室に来る前に「担当医と話してきた」と言っていました。)
とはいえ、入院を強制する権利があるわけでもなく、 「病院にいられないなら、仕方がない」 と思うしかありませんでした。
こうして、 退院の準備 が進められることになりました。
退院後の療養——職場復帰への圧力
「さすがに、すぐに職場復帰は無理です。」
担当医にそう伝え、 診断書 を書いてもらいました。
内容は 「術後の療養のため、一定期間の休養を要する」 というもの。
病院には置いてもらえなかったが、少なくとも しばらくは自宅療養ができる ということに安堵しました。
しかし、職場に診断書を提出しに行ってくれた妻からの報告は 予想通りのもの でした。
「課長と課長補佐は、すごく嫌な顔をしていた。」
「でも、診断書があるから何も言えなかったみたい。」
あぁ、やっぱりな…
結局、病院を出ても、職場復帰への圧力はなくなることはありませんでした。
これが 次に起こる、さらなる地獄の始まり だったことを、私はまだ知りませんでした。
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