「また振り出しに戻った」——うつ病と注意力散漫が招いた交通事故

事故現場で倒れ込む日本人男性。彼のそばには傷ついたスクーターが横たわり、深いショックと絶望を感じさせる。 うつ病闘病記
突然の事故——倒れたスクーターとともに、心まで打ちひしがれる。

ほんの少しの気の緩み——注意力散漫が引き起こした事故

筋トレをやめてから、前向きになりかけていた気持ちが、再び落ち込むことが増えていきました。
しかし、休養を続けるうちに、少しずつ気分が安定してきました。

家事も少しずつこなせるようになり、洗濯や皿洗いといった簡単な作業を受け持つようになりました。
精神科への通院も、以前は妻に付き添ってもらっていましたが、この頃には一人で行けるようになっていました。

この日も、いつものようにスクーターでクリニックへ向かっていました。
ただ、少し体調が悪かったため、家を出る時間がいつもより少し遅れてしまいました。

予約時間にはまだ間に合う余裕はあったものの、なぜか気が急いていました。
いつもの道は渋滞していて、私は車道の左側をゆっくりとすり抜けながら走っていました。


跳ね飛ばされた瞬間、そして加害者の無責任な態度

その時でした。

対向車線の車が、渋滞の隙間から突然右折してきました。

「——!!」

瞬間、視界がぐるりと回転し、次の瞬間には左半身を地面に叩きつけられていました。
強い衝撃が走り、呼吸が一瞬止まりました。

何が起こったのか分からず、ぼんやりと周囲を見回すと、車が壁のように取り囲み、自分が倒れていることをようやく理解しました。

しかし、相手の運転手は私に駆け寄ることもなく、自分の車のバンパーを確認していました。
私は頭を打ったせいか、思考がまとまらず、ただ道路の端でうずくまっていました。

しばらくして、相手がこちらにやってきました。
「すり抜けてたのが悪いんじゃない?」

その言葉を聞いた瞬間、言葉にならない怒りと虚しさがこみ上げてきました。


事故の痛みと心の痛み——「また、振り出しに戻った」絶望感

警察を呼び、到着を待つ間、体の痛みでほとんど動けずにいました。
やがて救急車が到着し、そのまま病院へ運ばれました。

「クリニックの予約に間に合わない…」

救急車の中で、私はうわ言のように何度もつぶやいていたそうです。
(頭を打った影響なのか、その後の記憶は曖昧です。)

病院での検査の結果、軽い脳震盪と診断されました。
ぼんやりとした意識のまま、妻が駆けつけた頃にはすでに検査も終わっており、とりあえず帰宅することになりました。

しかし、数時間後、事故の衝撃で打ちつけた左半身が痛み出し、身動きが取れなくなりました。
このままではどうしようもないと判断し、整形外科を受診しました。

診断の結果、 頸椎と腰椎のむち打ち、左半身の打撲 と診断されました。
この日から3か月間、週に2〜3回整形外科に通い、痛み止めの注射、スーパーライザー治療、首と腰の牽引リハビリ を受けることになりました。

首と腰の痛みはひどく、最初のうちは トイレまでの短い距離を歩くことさえ苦痛 でした。
当然、家事もできず、すべて妻に任せるしかありませんでした。


妻の言葉が救ってくれた——「生きているだけでいい」

この事故の根底には、 うつと薬の影響による「注意力散漫」 がありました。

当時の私は、「自分は大丈夫だ」と思い込み、自分の状態を過信 していました。
しかし、筋トレ中の怪我、そして交通事故を経験し、その考えが 甘かった ことを痛感しました。

この出来事をきっかけに、妻は私を 一人で行動させることの危険性 を強く認識し、
今まで以上に私の行動を気にかけるようになりました。

それにより、妻の負担はますます増えてしまいました。
私は、 またもや妻に迷惑をかけているという罪悪感 に押しつぶされそうになっていました。

交通事故で体が痛むときには、本当に 「死んでしまった方が楽なのではないか」 と思うほど、気持ちが落ち込んでいきました。

「せっかく少しずつ動かせるようになったのに、また振り出しに戻った」
「このまま、もう元には戻れないのではないか?」

そんな絶望感が、心を深く突き刺しました。

さらに、事故の相手が 任意保険に未加入 だったことが判明し、連絡が取れなくなりました。
泣き寝入りするしかなく、怒りや無力感が心に重くのしかかりました。

「もう、何もかもがどうでもいい——」

そんなとき、妻がそっと私に言いました。

「〇〇(子どもの名前)ちゃんに会えなくなってもいいの?」
「お父さんのいない子にしてもいいの?」
「お父さんは、いるだけでいいんだよ。生きてそばにいてくれるだけでいいんだよ。」

その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた感情が一気に溢れ、涙が止まりませんでした。

それは、久しぶりに流した涙 でした。

「生きているだけでいい」

妻の言葉がなければ、本当にどうなっていたかわかりません——。

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