変わらぬ日常と、静かな幸福
母が認知症と診断されたのは75歳の頃でした。それから年月が流れ、気がつけば母も80歳を超えました。
その間に、母は両膝の人工関節置換手術や腰椎圧迫骨折の手術を3度受けましたが、幸いにも現在は落ち着いた様子で、認知症の症状も普段の生活ではあまり目立ちません。
私は日中、母の家で在宅ワークをしながら過ごし、家事もこなす日々を送っています。長子は高校生となり、次子も春から小学生に。妻はフルタイムのパートを続けており、私の収入と合わせて、家族4人でささやかながらも穏やかな生活を送っています。
春先になるとうつの症状がやや強くなりますが、それ以外の時期は現在の薬で安定しています。唯一残念なのは、春に体調を崩しやすいせいで、子どもたちの卒業式や入学式の記憶があまり残っていないこと。
それでも私は「このまま、静かで温かな日常が続けばいいな」と、そんな小さな幸せをかみしめていました。
突然訪れた落とし穴
そのささやかな幸せは、ある日突然終わりを告げました。
私が45歳を迎えようとしていたある日。近所のスーパーへ買い物に出かけ、いつものように両手いっぱいに買い物袋を下げて帰宅しました。
玄関を開けたとたん、奥の台所から何か音が聞こえました。
「もしかして、やかんを火にかけたまま出かけてしまったのか?」
焦った私は靴を脱ぐ余裕もなく、玄関の段差につまずいてしまいました。両手に荷物を持っていたために受け身も取れず、右半身を思いっきり床に打ちつけてしまいました。
なんとか台所に這うように向かって確認すると、火はついていませんでした。よく見ると冷蔵庫の扉がわずかに開いており、アラーム音が鳴っていただけでした。
ホッとしたものの、体の痛みがじわじわと広がり始めました。
じわりと広がる痛みと違和感
その日の夕方、妻に事情を話すと、
「荷物なんて放っておけばよかったのに」
と少し笑われましたが、体を心配してくれているのが伝わり、気持ちは和らぎました。
ところが翌日になると、右半身の痛みが増し、特に腰の痛みがひどくなってきました。
打撲と思われた患部には湿布を貼り、ロキソニンで痛みを抑えながらしばらく様子を見ることにしました。仕事は何とかこなせましたが、家事までは無理だったため、妻にお願いする日々が続きました。
この状態で、約2週間が過ぎていきました。
長引く痛みと、再び向き合う現実
打撲による青あざは次第に引いてきたものの、腰の痛みだけは一向に良くなりません。
これはもしかしたら単なる打ち身ではないのかも——。
そう思い、母の手術でもお世話になった病院を受診することにしました。
診察ではレントゲンとMRIを撮ってもらいましたが、骨や神経に明らかな損傷は見られないとのこと。ただし、痛みが強い場合はブロック注射を試してみるのが良いということで、仙骨部硬膜ブロック注射を受けました。
この注射は以前にも経験があり、最初の2回はそれなりに効果を感じました。しかし数日経つと、また元の痛みが戻ってしまいます。
主治医にそのことを伝えると、「次は神経根ブロック注射を試しましょう。ただし、かなり痛みを伴う可能性があるので、心の準備をしてください」と言われました。
次の診察を前に、不安と期待が入り混じる気持ちでその日を待ちました。
ささやかな日常が崩れたとき、私たちはどう向き合うか
この出来事は、普段の生活のありがたさや、家族の支えの大切さを改めて実感するきっかけとなりました。
年齢とともに体は確実に変化していきます。気をつけていても、ちょっとした油断や焦りで大きな怪我につながることもある——それは誰にとっても他人事ではないはずです。
これからも穏やかな生活を送るために、焦らず、無理をせず、丁寧に暮らしていくことの大切さを再認識しました。
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