入院中に見えた「母の認知症」の影
母が認知症と診断されたのは、75歳のときでした。
あれから数年が過ぎ、気づけば母は80歳を超えました。
この間、母は両膝の人工関節置換術と腰椎圧迫骨折の手術を合わせて5回受けています。
いずれも同じ病院で、私の自宅から車で40分ほどの距離です。
普段の生活では、認知症の症状はあまり目立たず、日常会話も普通にこなせます。
しかし、入院という環境の変化が母にとって大きなストレスになるのか、入院中は不安定な言動が増えました。
手術が終わり、少し動けるようになると、母は毎晩のように病棟の公衆電話から私に電話をかけてくるようになりました。
内容は「同室の人にお菓子を配りたいから買ってきて」「バナナが食べたい」など、些細なものばかり。
ある日は「昨日のバナナはおいしくなかったから、もっとおいしいのを持ってきて」と言われたこともありました。
私が毎日病院に通うのが当然。
かつて父の入院時に、母自身が毎日見舞いに行っていたこともあり、今度は「自分がそうされる番」と思っていたのかもしれません。
3度目の入院、心が折れ始めた私
こうして母からの電話は毎晩続きました。
私はそのたびに、翌日に必要な物を準備し、病院に向かう日々。
最初の2回の入院では、母の要望にすべて応じていました。
けれど、3回目の入院あたりから、私は電話を取るのが怖くなってきたのです。
携帯にかかってくる電話。出なければ10分ほどでまた鳴る。
逃げようがありませんでした。
「また明日も病院か…」
そう思うと、気力も体力もすり減っていきました。
そして、私はうつをぶり返しました。
「夜が怖い」──うつ症状の再発とその日々
電話が鳴る夜が怖い。
眠れず、朝方にようやく浅い眠りにつく日が続きました。
日中は頭が働かず、集中力が続かない。
何かをしようとしても忘れてしまう。
テレビも、本も、ネットも見られない。会話もうまくできない。
感情がなくなり、何も楽しくない。
そして、私のうつは深くなっていきました。
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眠剤を飲んでも眠れない
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現実感の欠如、離人感
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食欲低下、体重の急激な減少
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希死念慮
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理由のない恐怖や不安に襲われる
普段から服用している抗うつ薬はすでに最大量。
これ以上は薬を増やせない。
頼れるのは「休養」と「家族の支え」だけでした。
妻が代わりに家事を担ってくれたおかげで、なんとか最低限の生活は維持できました。
それでも、母の面会は私しか行けないという現実がのしかかります。
退院と回復、そして恐れる未来
母の入院は約2〜3週間。
終わりが見えていたのが、唯一の救いでした。
なんとか乗り越え、母が退院すると、心からホッとしました。
不思議なほど、うつの症状も短期間で軽快に向かっていきました。
あの毎晩の電話がなくなるだけで、こんなにも気持ちが軽くなるのかと思いました。
認知症の症状は人によって異なります。
母が見せる行動が病気によるものかどうか、明確には分かりません。
けれど、家族の心身に影響を及ぼすことがあるのは間違いありません。
私は願っています。
「もう二度と、母が入院することがありませんように」
それは、母のためでもあり、私自身の心を守るためでもあります。
認知症と家族の限界──”見守る”にも限界がある
認知症は、本人だけでなく家族の生活や心身にも大きな影響を与える病気です。
特に、入院などの環境変化は症状を悪化させる要因になることがあります。
そして、介護する側も無限に頑張れるわけではありません。
頑張りすぎれば、自分自身が壊れてしまいます。
「介護うつ」という言葉があるように、自分の限界を見極め、助けを求めることも大切です。
私のように、自宅で在宅勤務をしていると、「自由に動ける」と思われがちです。
しかし、見えない心の負担は、確実に積み重なっていくものです。
それでも私は、母の穏やかな表情を見るたびに、「また今日も一緒に過ごせた」と感じます。
これからも、無理せず、できる範囲で。
母と向き合っていこうと思います。
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