股関節の手術後、なぜか太ももが激痛に…リハビリ病院へ転院を決めるまでの記録

ベッドの上で太ももを押さえ、苦悶の表情を浮かべる中年の日本人男性 けがに苦しむ日々
痛いのは股関節ではなかった──術後、太ももに広がった激しい痛

手術翌日、動けないほどの太ももの痛み

手術翌日、妻は仕事のため午前中に病院を後にしました。
私はというと、予想以上の太ももの痛みに苦しんでいました。

ベッドの背もたれを起こして、もたれかかることはできるものの、自力で上体を起こすことすら難しい状態
痛みのせいで、ベッドの上で体を動かすのもひと苦労でした。


✅ リハビリ開始予定だったが…

午後になると、理学療法士の方がやってきました。
歩行器を持っていたので「そろそろリハビリを始めるんだな」とは思いました。
以前、胆のう摘出手術を受けたときも、手術翌日からリハビリを開始していたため、それ自体は驚きません。

しかし今回はまったく状況が違いました。
太ももの痛みが強すぎて、立ち上がるどころか座ることすら困難だったのです。

そのことを理学療法士に伝えると、すぐに理解してくれました。

「今日は無理せずお休みにしましょう。痛みが落ち着いてきたら再開しましょうね。」

無理にリハビリを押し進めることもなく、寄り添う対応に救われた気持ちになりました。


食事も苦行、続く痛みと動けない3日間

食事を摂るにも、本来ならベッドの上に座った姿勢が必要です。
しかし、それすらできない私は、背もたれにもたれかかりながらなんとか食事を取るという状態。
このつらい日々が、3日間続きました

その間、主治医の先生が回診に来たタイミングで、太ももの異常な痛みについて何度か訴えました
ですが、返ってきたのは「ふーん」というような、特に説明もない無反応でした。


✅ やっと起き上がれるように

4日目に入って、ようやく少しだけ状況が変わりました。
完全にではありませんが、股関節を曲げられるようになり、ベッドに座ることができるようになったのです。

午後には立ち上がることもでき、なんとかトイレにも自力で行けるようになりました
この時点で、ようやくバルーンカテーテル(尿の管)を外してもらうことができました。


✅ リハビリの再開と現実

そこからリハビリが再開されましたが、最初は歩行器を使っての訓練です。
歩行器を使わずに動くときは、手すりに頼りながらの移動。
「普通に歩く」など夢のまた夢で、太ももの痛みがあまりにも強く、数歩ごとに息が上がるほどでした。

両足に均等に体重がかかっているかを測る検査も行いましたが、右足には体重がほとんどかけられていないという結果でした。
当然のことながら、右脚はかばうようにしか使えない状態だったのです。


外側大腿皮神経痛と診断、でも説明はゼロ

手術から1週間が経ったある日、主治医が病室を訪れた際にようやく、太ももの痛みについて病名が告げられました。

「それは外側大腿皮神経痛(がいそくだいたいひしんけいつう)ですね。」


✅ 病名だけ告げられ、治療方針は示されず

ようやく正体がわかった…と思ったのも束の間、その後に続く説明は一切ありませんでした。
一方、手術の内容については説明があり、股関節唇が破れていたためアンカーで縫合したこと、その様子を写した画像を見せてもらえました。

でも…「これからどうなるのか」には何も触れられないまま、不安だけが残りました。


✅ このままでは帰れない──転院の相談へ

「このままでは、とても自宅で生活できるとは思えません。
リハビリ病院へ転院したいので、紹介をお願いできますか?」

私の言葉に、主治医はすんなりと同意してくれました。

「わかりました。転院できるように手配しておきます。」

病院間で調整してくれた結果、2つのリハビリ病院が候補として提示されました。
どちらにするか決めるため、一旦保留にして妻に電話で相談。

最終的に、自宅からは少し遠いものの、リハビリの評価が高い病院を選ぶことにしました。


✅ 看護師長の言葉にショックを受ける

翌日、病棟の看護師長が私の病室を訪れました。
開口一番、こう言われたのです。

「痛みは“ひがらもの”ですから、早く転院してください。
次の入院患者が待っていますので。」

「ひがらもの」とは、時間が経てば治るものという意味のようですが、
この発言にはさすがにショックを受けました。

  • まだ強い痛みが続いているのに「時間が経てば治る」と軽く扱われたこと

  • 「早く出て行け」と言わんばかりの口調

医療者としての配慮があまりにも欠けている対応だと感じました。


地獄の車移動と、リハビリ病院への転院

転院先は希望通りの病院に決定し、2日後に移動することになりました。
ただし、ここでも一つ大きな問題がありました。

それは、車に乗る姿勢がとにかくつらいということ。
股関節を曲げる角度が増すと、太ももの神経痛が一層強くなり、移動中は地獄のような時間でした。


✅ それでも、転院は希望だった

それでも私は、「ここでリハビリをしなければ、もう日常生活に戻れない」という気持ちでいっぱいでした。
つらい移動を経て、ようやくリハビリ専門病院への転院が完了。

ここから、本格的な回復に向けた新たなリハビリ生活が始まります。

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