整いつつある生活、再び職場へ
妻が働き始めたことで、私の生活にも自然とリズムが生まれました。
不眠も交通事故直後に比べるとかなり楽になり、うつの症状も以前よりは軽減されているように感じます。
そんな中、職場からも復職を促す連絡が届いていました。
「今の自分ならば、なんとかやれるかもしれない」——そう思えるようになっていました。
幸いなことに、子どもも保育園に入園でき、送迎バスを利用すれば妻が送り迎えを担当できます。
こうして自宅の環境も整いつつある今、「復職できるかもしれない」 という気持ちが少しずつ強くなっていきました。
しかし、本当にやっていけるのか?
3年近くのブランクがあることに対する不安は消えません。
職場に戻ったとき、周囲の目がどう変わるのか。
仕事をこなせるのか。
そんな思いが頭をよぎるたびに、妻は「無理ならまた休めばいいよ」「転職してもいいし、焦らなくていいんだよ」と、何度も私の気持ちを和らげてくれました。
「ここまで支えてくれた家族のために、もう一度やってみよう」
そう思い、ついに職場に復職したいと連絡をしました。
3年のブランクを乗り越えるために
休職期間は約3年に及びました。
その間、病気休暇や傷病手当金、傷病手当付加金などで何とか家族3人の生活は維持できていました。
(公務員の制度は、民間企業に比べるとかなり手厚いと感じました。)
とはいえ、決して楽な暮らしではなく、家族には少なからず負担をかけていました。
それでも妻は「本当に復職できる? 無理ならこのまま休んで、調子がよくなったら転職してもいいよ」と、いつも私のことを最優先に考えてくれました。
そんな妻の言葉がとても嬉しく、むしろ「家族のためにもう一度頑張りたい」という意欲が湧いてきました。
職場に「復職を希望します」と連絡を入れると、まずは課長と課長補佐との面談が組まれました。
職場復帰に向けた準備
面談では、現在の病状や休職中の状況、家族のサポート体制などについて話しました。
長期間休職していたことへの謝罪とともに、「少しずつなら復職できるかもしれない」という気持ちを正直に伝えました。
ありがたいことに、休職の原因となった先輩は異動しており、もう職場にはいませんでした。
このことを知ったとき、少しだけ気持ちが軽くなりました。
課長・課長補佐は私の話を聞いたうえで、「まずは健康管理室の嘱託医と相談し、リハビリ期間を経て復職するのがいいだろう」という方針を提示しました。
長期間のブランクがあるため、いきなりフルタイムでの勤務ではなく、段階的に慣れていくことが必要とのことでした。
具体的には、最初の2週間は午前中のみの勤務とし、その後の体調を見ながら徐々に業務時間を延ばしていく というリハビリプランが決まりました。
私は「最初からフルタイムで働くつもりだったため、少し拍子抜けした」というのが正直な気持ちでした。
しかし、こうして復職をサポートしてもらえる環境に、ありがたさも感じました。
家では、妻が「無理だったら休んじゃいなよ」と言ってくれました。
その言葉に支えられながら、私は久しぶりの職場へ向かうことになりました。
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