話せば楽になると思っていた——カウンセリングが苦痛になった理由

カウンセリングルームでうつむく日本人男性と、それを見守るカウンセラー うつ病闘病記
話せば楽になると思っていた——しかし、言葉にすることがこんなにも辛いとは思わなかった。

休養中の試行錯誤

仕事を休み始めても、心の中ではまだ「休んでいいのか?」という疑問が消えませんでした。
妻から 「生きている。それだけでいい」 と言われ、気持ちは少し軽くなったものの、休むことに慣れていなかったのです。

「では、何をすればいいのか?」

すでに家事は妻に任せ、ぼんやりと過ごしていました。
日中は何もせずにいるが、これで本当に休めているのか?
答えが見つからないまま、焦りと不安ばかりが募っていきました。

食事や洗顔、着替えといった日常の動作さえも億劫になり、すべてがハードルの高い作業に思えました。
夜になればベッドに入るものの、なかなか寝付けません。
やっと眠れても朝早くに目が覚める。

「社会的には”休養”しているはずなのに、心は一向に休まらない」

そう考えれば考えるほど、焦りが募り、イライラが増していきました。

カウンセリングを受けてみることに

仕事を休み始めた頃、2週間に一度、クリニックで診察を受けていました。
自分で運転するのは危険かもしれないと考え、妻に送迎してもらい、子どもは私の母に預けるか、一緒に連れて行くこともありました。

「家族に迷惑をかけている」 という罪悪感は消えませんでしたが、通院する以外に選択肢はありませんでした。

ある日、診察で 「体がだるくて動けないが、気持ちが落ち着かず休んだ気がしない」 と話したところ、先生からこんな提案がありました。

「気持ちを整理するために、カウンセリングを受けてみませんか?」

カウンセリングが具体的に何をするのかはわかりませんでしたが、「話せば楽になるのかもしれない」 と思い、受けてみることにしました。

カウンセリングの現実

初回は、お互いの自己紹介と今後の進め方について話し合いました。
「週1回、45分間のカウンセリング」 ということになり、2回目からは「今に至るまでの人生を教えてほしい」と言われました。

幼少期から学生時代、就職してからの経歴、現在の職場環境まで…
とにかく細かく話すよう求められました。

「話せば楽になるのかもしれない」

そう思いながら続けましたが、過去のことを話せば話すほど、逆に心がえぐられていくように感じました。

特に、職場での出来事を事細かく話す時間は、ただ辛い記憶を掘り起こすだけ。
精神的な負担は想像以上でした。

カウンセラーは優しく相槌を打ち、親身に聞いてくれました。
しかし、45分間ほぼ一人で話し続けるのは、それ自体が大変でした。
記憶を掘り起こすため、ぼんやりとした頭を無理に働かせる必要がありました。

ある日、話している途中で疲れ果て、意識が遠のいてしまいました。
「○○さん(私の名前)」と呼ばれ、カウンセラーに起こされたとき、「これは本当に意味があるのか?」 という疑問が強くなりました。

カウンセリングの中止

カウンセリングが終わると、私は話疲れてぐったりしていました。
一方で、妻は待合室でひとりきりで待ち続けてくれていたのです。

「自分だけが疲れるだけでなく、妻にも負担をかけている」

そう思うと、次第にカウンセリングに行くこと自体が憂鬱になり、体調が悪くなる日も出てきました。

ある日、診察で思い切って先生に相談しました。

「カウンセリングって何のために受けるんですか?
当時のことを思い出すばかりで辛いし、何より話すこと自体が負担で体調が悪くなっています。」

すると先生は、こう答えました。

「それなら無理して受ける必要はないよ。無理をすれば、逆効果になることもあるからね。」

その一言で、カウンセリングは終了することになりました。

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