父の突然の入院と手術――家族で支えた長い闘病の日々

病院の待合室で不安そうに座る30代の男性。壁際に座り、考え込むような表情を浮かべている。 うつ病闘病記
手術の結果を待つ不安な時間――病院の待合室で、沈黙の中、心が揺れる。

障害年金の受給と生活の安定

障害年金を受給できることが決まり、生活に少しゆとりが生まれました。
妻もパートの時間を減らし、平日のランチタイムに飲食店で働くのみになりました。
勤務期間が短かったため障害年金の額は十分とは言えませんが、家族3人が慎ましく暮らすにはなんとかなる程度の収入です。

経済的な余裕ができたことで、精神的な負担も軽減され、うつの症状も少しずつ落ち着いてきました。
そこで、私は再び積極的に就職活動を始めることにしました。

深夜の電話と父の容態

ある夜中、母から突然電話がかかってきました。
「お父さんがお腹が痛いって、すごく苦しがっているの。どうしたらいい?」
普段あまり弱音を吐かない父がそんな状態になっていると聞き、ただごとではないと思いました。

「動けないほど痛いなら救急車を呼ぶしかないよ。私が電話しておくから、救急車が近くに来たら家の前で誘導して」と母に伝え、すぐに119番に通報しました。

しばらくして母から再び電話があり、病院に到着したことと病院名を教えてもらいました。
すぐに病院に向かおうとしましたが、ひとつ問題がありました。

私は毎晩眠剤を服用しているため、運転することができません。
しかし、こんな夜中に公共交通機関は動いていません。

仕方なく、寝ていた子どもを起こし、妻に運転してもらい病院へ向かいました。

入院と手術の決定

病院に到着すると、母から医師の説明を聞きました。
「現時点では腹痛の原因がわからないため、とりあえず点滴で鎮痛剤を入れて様子を見ます」とのことでした。

母も高齢で長時間付き添うのは大変なので、その夜は私が付き添うことにし、妻と子どもには帰宅してもらいました。

その後もなかなか原因が特定できず、入院が長引きました。
1週間ほどしてようやく「胆管が詰まりかけているらしい」との診断が下りました。

胆管のつまりを改善するために、内視鏡(十二指腸内視鏡)を口から挿入し、ステントを胆管に入れて広げる手術を行うことになりました。

医師からは次のような説明がありました。
「この手術は比較的負担が軽く、時間も短いですが、胆管が狭くなりすぎている場合はステントを通すことが難しいかもしれません。その場合、後日開腹手術を行い、胆管の再形成手術をする必要があります」

手術に関してのリスクも説明を受け、父も最初は不安そうでしたが、母の説得もあり手術を受けることを決意しました。

内視鏡手術の失敗と開腹手術の決定

手術の日が決まり、予定通りに進められました。
手術自体は2時間ほどで終わり、手術後、医師から説明がありました。

「胆管が予想以上に狭くなっており、ステントを通すことができませんでした。開腹して胆管の再形成手術が必要になります」

想定していたリスクが現実となり、開腹手術を受けることが決定しました。
父も大きな手術を経験したことがなかったため、かなり不安そうでしたが、私や母が励ましながら、何とか受け入れてもらいました。

その後、手術に向けて体調を整えるために入院が続きました。

医師からは手術の詳細な説明がありました。
「胆管と胃がつながっている部分を切り取り、胆管の先を小腸につなげて、胆汁を直接流すようにします」

母も「手術すれば元気になれるから」と父を励ましながら、手術の日を待ちました。

開腹手術と術後の痛み

手術当日、昼頃から手術が始まりました。
私は母とともに病院で待機し、夕方になり子どもが保育園から帰ってくると、妻も合流しました。

事前の説明通り、かなり時間がかかる手術でした。
夕方少し前、ようやく手術が終わり、執刀医から説明がありました。

「手術自体は予定通り終わりました。しかし、胆管の状態はそれほど悪くはなかったため、別の原因がある可能性があります。引き続き検査を進める必要があります」

無事に手術は終わったものの、新たな不安が生まれました。

その日は私が付き添い、父の側にいることにしました。
父は術後の痛みがかなりひどく、麻酔の追加投与ができるボタンを押してほしいと頻繁に頼んできました。

しかし、一定時間が経たないと次の投与ができないため、何度も説明しましたが、朦朧としている父には伝わりません。
「痛い、押してくれ」と何度も頼まれ、そのたびに時間を確認しながらボタンを押していました。

翌朝、母が病院に来ると、父は安心したようで少し穏やかな表情になりました。
やはり、父にとっては私よりも母の方が落ち着くのだと感じました。

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