死にたかったあの日――自殺未遂と支えてくれた妻

感情が溢れ、涙ながらに訴える女性と、俯いて言葉を失う男性。二人の間にある深い葛藤と絶望感が伝わるシーン。 うつ病闘病記
必死に訴える妻と、俯いて答えられない夫――言葉にならない想いが交差する

🛑 注意喚起(トリガーワーニング)🛑

このブログ記事では、自殺に関する話題を取り上げています。
過去の経験や現在の気持ちによっては、読んでいてつらく感じる可能性があります。

もし今、強い苦しみを感じている場合は、一人で抱え込まず、信頼できる人や専門機関に相談することをおすすめします。
話すだけでも心が軽くなるかもしれません。悩んでいることがあれば、まずは他人に聞いてもらいましょう。

📞 相談先の情報:
1. いのちの電話
📞 ナビダイヤル:0570-783-556(10:00~22:00)
📞 フリーダイヤル(無料・24時間):0120-783-556(毎月10日)
💻 https://www.inochinodenwa.org/

2. #いのちSOS(NPO法人自殺対策支援センターライフリンク)
📞 フリーダイヤル(24時間対応):0120-061-338
💻 https://www.lifelink.or.jp/inochisos/

3. 東京自殺防止センター(全国対応)
📞 相談電話(午後3時~午前2時30分):03-5286-9090
💻 https://www.befrienders-japan.org/

4. よりそいホットライン(外国語対応あり)
📞 フリーダイヤル(24時間対応):0120-279-338
💻 https://www.since2011.net/yorisoi/

5. 厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」
📞 全国共通:0570-064-556(各地域の相談機関につながる)
💻 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/kokoro_dial.html

自分の心の状態に気を配りながら、無理のない範囲でお読みください。


退職後の焦燥感と自己嫌悪

退職後、数か月が経った頃のことです。
頭に靄がかかったような状態が続く一方で、焦りの気持ちがどんどん強くなっていきました。

普通なら、仕事を辞めたらすぐに次の就職先を探し、失業手当をもらいながら生活するものです。
しかし、公務員には失業保険がなく、退職後の収入はゼロでした。
退職金も、勤務期間が短かったため、すぐに底をついてしまいました。

それなのに、体は思うように動かず、新しい仕事を探す気力すら湧きませんでした。

「何をしているんだ、自分は……」

妻はいつも明るく接してくれ、子供も変わらず懐いてくれました。
それが余計に辛く感じました。

「こんな自分が家族と一緒にいていいのだろうか?」
「家族を支えるどころか、迷惑をかけるばかりじゃないか」

そんな考えが、頭の中をぐるぐると巡るようになりました。


自殺衝動の芽生え——薬を飲んだ日

そんな中、ニュースである薬品を使った自殺事件が多発していることを知りました。
しかし、その方法では周囲の人にも影響が及ぶことが報道されていました。

「どうせ死ぬなら、誰にも迷惑をかけてはいけない」

そう思った瞬間、別の考えが浮かびました。

「……一人で死ぬならいいのではないか?」

その考えが、一度頭をよぎると止まらなくなり、頭の中がそれ一色になりました。

そして、妻がパートに出かけ、子供が学校に行った静かな家の中で、
家にあった眠剤と抗うつ薬をすべて飲みました。

どのくらい時間が経ったのか、記憶はほとんどありません。
気がつくと、横に妻がいました。

「あぁ、死にきれなかったんだ」

ぼんやりと思いながら、妻の顔を見ました。

「どうしたの?」と妻が尋ねます。
「いや、ちょっと寝ていただけ」と答えました。

——本当のことなんて言えませんでした。

しかし、その時、次の考えがすでに頭の中に浮かんでいました。

「今度は確実に死ねる方法を探さないと」


もう一度……そして妻の涙

「死にきれなかった。」

それだけが頭に浮かびました。

薬でダメだったら、他に方法はないだろうか?

頭の中で、選択肢を探しました。

しかし、家にはロープをかけられる場所もなく、都市ガスでは自殺はできないと聞いたことがありました。
いろいろと考えた末、唯一思いついたのが、料理用の出刃包丁でした。

また、家族がいない時間を見計らい、静かに準備を進めました。

——終わらせよう。
——これで楽になれる。

そう思いながら、意識が遠のいていきました。

しかし、また目が覚めました。

視界に映ったのは、家の天井。
そして、目の前には怒った顔の妻がいました。

「どうしてこんなことしたの?」
「私たちのことをどうするの?」

泣きながら、妻が叫んでいました。

床には真っ赤な血が広がっていました。
「人間って、こんなに血を流しても死なないんだ……」と、どこか冷静に思いました。

傷は浅かったらしく、血は大量に出たものの、自然に止まってしまったようでした。


クリニックでの診断と、妻の支え

このことは、精神科の先生にも伝えました。

「今は病気で苦しいだけですよ。必ず良くなりますから。大丈夫なので、今は休むことだけ考えましょう。」

そう言われましたが、心の中で「本当に良くなるのか?」という疑問が渦巻いていました。

妻はそれ以来、パートに出ることもできず、ずっと家で私を見守るようになりました。
何度も「もう大丈夫。死のうとしたりしないから」と伝えましたが、妻の不安が消えることはありませんでした。

その間、生活はどんどん苦しくなりました。
貯金は底をつき、収入はゼロ。
妻は生活費をどうやりくりするか、毎月必死になって考えていました。

「もう少しだけ休ませて。そうしたら、必ず働きに出るから。」

そうお願いするしかありませんでした。

自殺しようとしたことを、後悔する日々が続きました。

そして数か月後、ついに妻は再びパートに出ることになりました。
昼間はファミレスで働き、夜はスーパーのレジ打ち。
スーパーのシフトがない日は、別のパート先へ。

休む暇もないほど働き詰めの妻。

「こんなに支えてくれる人がいるのに、自分は何もできない」

情けなくて、申し訳なくて、でもどうすることもできなくて——。

私はただ、家でじっと座っているしかありませんでした。


まとめ

自殺を考えたあの日、そして妻の涙。
今振り返ると、あのときの私は完全に病気に支配されていました。

それでも、生き延びることができました。
それは、妻が側にいてくれたからでした。

「今は病気で苦しいだけ。必ず良くなりますから。」

——その言葉を信じてよかったと思います。

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