ワンマン社長の下での日々
ワンマン社長のもと、さまざまな業務を命じられるままにこなしていました。何を命じられるのかわからず、次に同じ仕事を振られたときに役立つよう、私は勤務日誌をつけるようになりました。
そんな中、私よりもかなり年配の方が入社しました。営業職として採用されたようで、私と直接仕事をする機会はあまりありませんでしたが、開業医を対象に電子カルテシステムの営業を担当していました。
しかし、なかなか実績を出せず、苦労している様子でした。私は技術職なので営業に口を出せるわけもなく、ただ見守ることしかできませんでした。
サポート窓口への異動と負担の増加
そんなある日、突然サポート窓口を委託されている会社の本社へ出向するよう命じられました。
もともと精神的に不安定な状態だった私は、突然の環境変化に強いストレスを感じました。それでも一応、新しい環境で勤務を続けましたが、社長ではない別の上司に相談し、元の会社に戻してもらうことになりました。
その後、新しく後輩も採用され、しばらくはサポート窓口の業務を中心に比較的落ち着いた日々を過ごしていました。
しかし、そんな折、私よりも年下でしたが、先に入社していた先輩2人が同時に退職してしまいました。
業務の負担が急激に増し、「このままだとまた県庁時代のように無理な業務を押し付けられるかもしれない」と強い不安を感じ始めました。
案の定、1か月ほど経つと、新たな人員が補充されることもなく、私は無理な業務を押し付けられるようになりました。「もう無理だ」と感じた私は、社長に退職の意向を伝えました。
特に引き止められることもなく、すんなりと退職が決まりました。
私が自分のためにつけていた業務日誌も、会社に残す必要はないと考え、すべてシュレッダーにかけてから退職しました。
仕事が決まらない焦りと再びのうつ症状
退職はしたものの、収入がなくなることへの不安が襲いかかってきました。
引き続きハローワークに通いながら就職活動を続けていましたが、前職の経験と勤務で精神的に疲弊しきっており、新しい仕事を決める勇気がわきませんでした。
そうなると、負の連鎖が始まりました。
仕事が決まらない → 生活に困る → 精神的に追い込まれる → 仕事を決められない
この悪循環に陥り、日を追うごとにうつ症状が強くなっていきました。
そんな状況を精神科の先生に相談しました。
すると、「無理して仕事を探そうとしても、今の状態では厳しいかもしれないね。少しゆっくり探せるように、障害年金の申請をしてみようか」と言われました。
私は精神障害者手帳を取得していましたが、精神障害でも障害年金を受給できる可能性があるとは知らず、驚きました。
障害年金の申請と受給の決定
私は元公務員だったため、障害年金の申請は地方公務員共済組合に行う必要がありました。
最初はそのことも分からず、地元の年金事務所に行きました。すると、「共済年金の場合、窓口が異なります。共済組合の方に直接相談してください」と案内されました。
細かい手続きは妻が行ってくれましたが、かなり面倒だったようです。書類の準備や診断書の取得に加え、申請に必要な過去の経過記録などをそろえる必要があり、通常の手続きよりも手間がかかる印象でした。
それでも精神科の先生に診断書を書いてもらい、必要書類を提出しました。
申請から数か月後、障害年金の受給が決まりました。
これは私にとって、大きな意味を持つ決定でした。仕事を探しながらも、焦らずに体調を整えることができるようになったからです。
障害年金があることで、生活の不安が少し和らぎ、少しずつ前向きな気持ちを取り戻すことができました。
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