「新たな職場環境——リハビリの終わりと新たな不安」
リハビリ出勤を終え、通常勤務に戻ってから 1〜2か月 が経ちました。
体調は完璧とは言えなかったものの、「とりあえず通常勤務には戻れた」という 小さな達成感 がありました。
このまま少しずつ仕事に慣れていけば、 「元通りになれるかもしれない」 そんな希望を抱いていました。
しかし、その希望はすぐに打ち砕かれることになります。
人事異動の時期がやってきたのです。
この異動では、私に Delphiのメンテナンス を指示していた先輩が異動になりました。
さらに、それだけでなく 課長も交代 することが決まりました。
県庁という機関では、課長(出先機関では所長)が職場の最高職 となるため、
課長が変わることは職場全体に 大きな影響 を与えます。
これまでの 2人の課長 は、どちらも温厚で、私の体調を気にかけてくれる方でした。
私が休職していたことを理解し、復職の不安を軽減できるよう配慮してくれていました。
しかし、今回の課長の異動は、 職場の雰囲気を一変 させることになります。
「新しい課長——威圧と恐怖が支配する職場」
新しく着任した課長は、見た目からして厳しそうな人でした。
そして、その印象は 間違っていませんでした。
今までの課長は、席に座っているときも 「周囲を見守る」 という雰囲気がありました。
しかし、新しい課長は 「腕を組み、職場全体を睨みつける」 ように見渡していました。
さらに、勤務時間に対する姿勢も大きく異なっていました。
以前の課長は、定時になれば「急ぎの仕事がなければ、定時で帰るように」と促してくれる 人でした。
ところが、新しい課長は 定時を過ぎても腕を組んだまま席に座り、退社する人を無言で睨みつけていた のです。
「この人は、長時間残業を良しとするタイプなのか?」
職場全体が 一気にピリピリとした雰囲気 になり、誰もが 「帰りづらい」 空気を感じていました。
そして、この課長が私に与えた影響は、さらに 大きなもの となります。
「突然の叱責——リハビリ期間は甘えだったのか?」
新しい課長が就任すると、再度面談 が行われることになりました。
しかし、今回は 私だけでなく、妻も同席 することが求められました。
私は 何か良い話があるのかもしれない と思いました。
しかし、その期待はすぐに裏切られました。
「長期間休職していたことについて、どう思っている?」
「いつまでも甘えているつもりか?」
面談は、まるで 尋問 のような雰囲気でした。
しかも、今までの勤務状況についても 大きな誤解 をしていました。
「お前は毎日、何をしているんだ?」
「Delphiの仕事もろくにやらず、遊んでいるのか?」
私は、Delphiのメンテナンスを一人で任され、誰にも相談できないまま試行錯誤していた のに、
課長はそれを 「仕事をしていない」 と思い込んでいました。
さらに、隣に座る 妻の前での叱責 に、私は 強烈な屈辱 を感じました。
妻が私を支えてくれていたことを思うと、「こんな姿を見せたくなかった」という気持ちが込み上げました。
「この職場で、もう居場所はないのではないか」
そう思うほどに、この面談は 衝撃的なもの でした。
「孤立とプレッシャー——再びうつが悪化していく」
課長が変わったことで、 周囲の態度も一変 しました。
特に 課長補佐の変化 は、顕著でした。
前の課長の時は 「体調は大丈夫?」 と気にかけてくれていたのに、
今度の課長に変わってからは 「いつまで甘えているつもりだ?」 と、私を 叱責する側 に回ってしまったのです。
「この程度のルーチンワークで、仕事をした気になっているのか?」
「少しは周りを見て、役に立つことをしろ!」
かつて 「気にかけてくれる存在」 だった人が、
今では 「私を追い詰める存在」 へと変わっていました。
また、Delphiの仕事を割り振った先輩が異動し、新しく来た先輩は、露骨に私を見下すような態度 を取るようになりました。
会話はほとんどなく、周囲の人も、次第に 私を避けるようになっていきました。
職場での 孤独感 が、日に日に増していきました。
「職場での孤立感」
「仕事のプレッシャー」
「相談できる人がいない環境」
これらは、まるで 最初にうつ病になったときと、全く同じ状況 でした。
「また、あのときのようにダメになってしまうのではないか?」
その不安が、私の心を じわじわと侵食 していきました。
この時の私は、もう一度うつ病が悪化する未来を、すでに予感していたのかもしれません。
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